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中国の遺跡へ行くぞ!

東洋の歴史で最も偉大な国といえば中国。というか、長い歴史をかえりみれば、中国は世界の中心のひとつでもありました。そのため多数の遺跡が残っています。とくに、世界を代表する遺跡である「万里の長城」を筆頭に、シルクロードに有名遺跡が集結しています。


ラインナップ


 万里の長城(北京他) ★★★★  
  圧倒的にいいぞいいぞの長城だった

その昔、小学館の学習雑誌に、万里の長城のことを、「月から見えた唯一の人工物」と紹介してあった。これは、いま考えると凄いことである。だって、月から見えるんですよ。あーんな遠くの星から、見えるんですよ。僕の万里の長城のイメージは、このとき決まったと言っていい。なんだか、ものすごい巨大で長ーい城という感じだ。  

行ってみたのは、1989年の夏である。そう、あの天安門事件の直後である。おかげでうるさいツアー客がいなくて快適で、したがって長城に関してはいいイメージしか残っていない。はっきり言おう。いい。想像以上にきちんと残されていて、(あるいは修復されていて)、しかもずんずんと上を歩ける。ずんずん歩いて果てまで行くと、他の観光客もいなくなり、風に吹かれて長城の雰囲気を実感できる。

長い長城のなかでも、一般的な観光地は北京郊外の八達嶺。ここは、北京から近くていい。やっぱり、都市から近くて観光しやすいのは、断然の長所だよね。長城は、ほかにも、いくつも観光できる場所があるが、八達嶺が一般的だ。

ここ、八達嶺が、なぜこんなによく整備されているか。これには明白な理由がある。明は、清ほどの強国ではなく、領土も狭かった。この万里の長城が、明の領土の北限だったのである。明の首都は北京である。つまり、首都からわずか数十キロ先が、国境地帯であり、そこが八達嶺だったというわけだ。ここが、よく整備された理由は、自ずからわかる。事実、この周辺で、なんども異民族との攻防戦が行われたらしい。   

ただ、歴史を振り返れば、長城は無敵ではない。というより、何度も、いとも簡単に破られている。こんなでかい城を築いて破られていては意味がないんじゃないかと思うくらいしょっちゅう破られている。しかし、これは長城が長すぎるからであろう。たとえば、コンスタンチノープルの外壁であるテオドシウスの大城壁を守るのでさえ、わずか5キロあまりで1万の兵を必要とした。2000キロを超える長城では、単純計算で400万人の兵が必要だったことになる。これは、現代の人民解放軍の総兵力に匹敵する数字である。   

もちろん、敵だって長城全体に数百万の軍勢を展開できたわけではないから、400万の兵なんて常時必要な訳ではない。ただ、長すぎるこの防御線は、敵が一点に巨大な戦力をつぎ込んで攻めてきた場合、じつに無力だったようだ。   

とまれ、最後の疑問。月から本当に見えたのだろうか? そこまで目立つ建物じゃないんだもの。その点については、なんだか、嘘くさい気もする。 
(1989年訪問)

 故宮(中国) ★★★★  
  中国皇帝はやっぱり医大だ

ご存じだとは思いますが、これは明・清代の中国皇帝の宮殿である。しかし、無茶無茶でかい。東西750メートル、南北1000キロもあるというのだから、もう京都御所なんておもちゃみたいなものである。この規模を見るだけでも、訪れる価値がある。  

なかには、宮廷の建物が、どーんどーんと残されている。この一個一個がまたまたでかい。こーんなでかい宮殿に住んでいたのだから、つくづく中国皇帝というのは絶大にすごいんだなあ、と思ってしまう。溥儀も、西太后も、ここにいたのだ。うーん、感動。  

でかい、でかいと書くとそれ以上に特徴はないのか、といわれそうだが、そんなことはない。中国の近世の建築の雰囲気が、じつによく残されているのだ。何せ広いから、なかが一つの街になっていて、路地がたくさんある。その路地にたたずんでいると、19世紀にタイムスリップしたような気になれる。そういう雰囲気が、はっきりと残されている遺跡というのは、じつは世界でもそんなにないのではないか。   

中国の歴史好きには、もうたまらない遺跡なのである。
(1989年訪問)

 始皇帝陵(西安) ★★★  
  中華帝国の威信を感じる大建造物

1989年に、筆者が初めて訪れたとき、つまらない遺跡だなあ、と思った記憶がある。事実、当時ここは「世界三大がっかり観光地」にノミネートされているくらい、旅行者に人気が低かった。それほど大きくもない墳丘に登って下りるだけだったからある。兵馬俑も発見されていたが、当時はまだそれほど大規模に公開はされてなかった。  

が、その後発掘が進み、始皇帝陵は非常に大きな地下世界を形作っていることがわかってきた。墳丘に登って下りるだけの遺跡から、中華帝国の威信を感じることのできる大遺跡に変貌した。発掘調査とは、つくづく大事なのだと思う。  

始皇帝陵は、3.9キロの内城と、6.2キロの外城の二つの城壁に囲まれていて、さまざまな施設が地上と地下に建設された。兵馬俑ばかりが有名だが、文官俑などもあるという。墳丘の地下には始皇帝の遺体が埋葬された地下宮殿も残されている。  

しかし、これらは公開されていない。公開されているのは墳墓の外観と兵馬俑くらいである。兵馬俑だけでも十分見る価値はあり、紀元前にこれだけの大建造物を残したことに感嘆するだろう。 もしすべてが公開されれば5つ星遺跡になる可能性もあると思うが、現状では、兵馬俑坑だけがほぼすべての見どころなので、3つ★にしておきます。

※以下に、1989年訪問時の評価も残しておきます。

「世界最低の超有名遺跡」

 「世界3大がっかり」にノミネートされる、超くだらない遺跡である。多くを語る必要もないが、行ったことのない人もいるだろうから、簡単に説明しよう。

いうまでもなく、始皇帝は秦という中国最初の統一王朝を作り上げた偉ーい人である。現在の西安郊外に、でっかい自分の墓を作らせた。発掘されている兵馬俑のほか、いわゆる地下宮殿のようなものまで作らせたらしいのだが、いまはほとんど残っていない。兵馬俑以外は、墓とされる小山がひとつあるだけだ。登って下りて、5分ほど。超くだらない。「行くだけ行きたい」と思う人以外には、勧められない。   

なお、兵馬俑に関しては、墳墓よりは見る価値はあると思う。ただ、一般の博物館程度の期待でいたほうがいい。要は、埴輪の行列にすぎないのだ。 (1989年訪問)

 莫高窟(敦煌) ★★  
  カネがない奴は行くべからず

ここは、おそらく、世界でもっともバックパッカーを差別する遺跡である。

正確にいうと、カネを惜しむ旅行者には非常に冷たい遺跡である。とにかく、貴重な石窟をみせてほしければ、いっぱいカネを払え、という、社会主義国家にあるまじき冷たい態度で接してくる。いや、それが社会主義国家のなのかもしれぬ、と思わず、にわか国際ジャーナリストの気分にさせてくれる遺跡でもある。うーん、なんて多彩な顔をもつんだ。

まじめに話をしよう。時期にもよるだろうが、重要な石窟はあまり開放されていない。一般の安いチケットだと、たいしたことのない石窟ばかり見せられて、なんだか穴に出たり入ったりしているうちに疲れてしまった、という不幸な状態に陥る。

だから、カネを惜しむつもりなら、わざわざこんなところまで来る意味はない。鉄道の駅からも遠く、列車のチケットも取りにくいこの街にきても、しんどい思いをするだけである。来たからには、一番高いチケットを買って、見られるものは全部見るべきだ。値段くらいの価値は、きっとある。

なにしろ1000窟もあるのだから、細かい石窟の説明を始めるとキリがない。また、地球の歩き方を見ても、石窟ごとの説明なんてほとんどないので、是非とも日本から詳細な敦煌の専門書を持っていこう。専門書といっても、カラー図版のきれいなのがいくつも出ているので、わかりやすい。

拝観が終わって、なお時間があれば、遺跡の裏に回ってみよう。すでにそこは砂漠で、ゆらゆらと大地が波打っているのがわかる。そこで、水でも飲みながら寝ころんでいると、井上靖の「敦煌」の世界が、目に浮かんでくるだろう。
(1988年訪問)

 敦煌・西安の名所めぐり (投稿)
  中国奥地で出会った「美人」たち

中国奥地、敦煌を含む遺跡数箇所のツアーに、5年前の夏、行ってきました。母と一緒だったのでLOOKJTBで行きました。敦煌に2日を費やすコースです。  

この旅行に行ったのは、歴史好きの母と旅行に行きたかったという動機もありますが、私個人としては莫高窟のある一つの窟を見に行くのが目的でした。お恥ずかしながら(と言っては失礼かもしれませんが、年が年なので)、漫画が動機です。

”摩利と新吾”(字、合ってるっけ)等の作者、木原敏江さんの”シルクロードのシ”という旅行記(共著、栗本薫さん他と)の中の木原敏江さんの莫高窟についての漫画エッセイに惹かれてです。一寸長くなりますが、抜粋させて頂きます。(以下引用)

−427窟で きれいなきれいな柳眉が 「こんにちは」と答えてくれたので きれいなきれいな切れ長の目で 「400年待っていましたよ」と 朱い唇が艶然と 「もちろん来るってわかっていましたとも」と (「シルクロードのシ」 栗本薫/木原敏江著 集英社文庫 P33)  

以下、珠玉の文章(散文詩といった感じ)が2ページに亙って続きますが、ここでは省略します。この柳眉(注:美人の形容詞です)に会いたくて、行った、というのが一番大きな動機です。敦煌では、平山画伯(だっけ)が好んだと言う菩薩像(壁画)が有名で、確かに見事ですが、これは管理人さんの紹介に書いてあった、”入場料を取る窟”(しかも一番高価)にあり、427窟は全く無料のその他大勢の窟です。  

敦煌は、多くの紹介写真にあるように、長い年月、ここにやってきた様々な人々、工人により崖に無数の窟(500近く)の窟が掘られ、中は各時代の仏、壁画で飾られています。窟と窟は壁際の細い通路で結ばれ、(横長の)崖の中央部には崖を穿って3階建て位の寺院の一角状に作った大きな窟(通常の建物3階分くらいあるのを一つに穿っている)の中に大きな磨崖仏があります。  

427窟の柳眉は、天平仏のような仏様(仏像、大きな)でした。日本の、飛鳥時代くらいの、古い仏様のお顔です。法隆寺夢殿の救世観音像(だっけ)、とか、あんなにごつくはないが雰囲気としては奈良の大仏さんとかの系統のお顔です。ギリシャ・ローマやインドの、古い時代(紀元元年前後頃の)の、アルカイックスマイルという不可思議な笑みを湛えた、どちらかと いえば四角いお顔で、細面の柳のような美人を想像して行くと、当てが外れます。でも、美人なんです。本当です。現代風じゃないけれど。  

もしかして、窟の番号とかが、木原敏江さんか私が勘違いしたとか、窟のナンバリングが変わったとかでなければ、私が見たものが木原さんが涙した柳眉の筈で、言われなければもしかして行きすぎてしまうけれど、言われれば、確かに、と肯けるお美しさです(金箔が張られ、金色だったと思います。背景や天井には、黄色っぽい地に無数の小さな仏様が描いてあったような気がします)。  

アルカイックスマイルというのは、古い時代に生まれた美の一つの到達点で、その様式として完成されており、現代風ではないが普遍の美を持っている、のだと思います。写真は、莫高窟全体で禁止ですので撮ってきませんでした。(撮りたかったけど。)  

このツアーでは他にも陽関とか、鳴砂山、映画”敦煌”のロケ用建造物(砂漠の中に敦煌の昔 の街を復元したもの)、秦始皇帝陵(膨大な数の埴輪で知られる、考古学の自称ファンはその数と、それぞれ全て顔立ちが違うという説明に感動する(或いはした振りをする)、西安(昔の長安)の町の門、大雁塔、華清池、西安の碑林、万里の長城、故宮等々を廻りました。  

始皇帝陵は管理人さんの紹介通りただの丘、ですが、思い入れのある者にはそれなりに感激のあるものでした。陽関は、「西の方陽関を出ずれば故人なからん」と謳われたあの場所です。砂漠の突端です。砂漠(砂砂漠ではない、稀に潅木のある荒野と言う感じの)の中に、小山のような土くれの塊、門だと言われなければなんだか判らないかもしれない物があるだけです。(でも感動した。)  

西安の街の門は、そこからシルクロードが始まる場所、大雁塔もシルクロードにゆかりの場所、碑林は、中国の有名な石碑(名筆として名高い方の手(筆跡)になるものもある、論語全巻の碑、なんてのもある)を集めた公園、です。  

また、華清池はかの楊貴妃が玄宗皇帝と過ごした場所で、池と風雅な建物が復元されており、池の端には柳の木が風になびき、唐代の面影を忍ばせる、という風情でした。楊貴妃も、こういう風景の中をそぞろ歩いていたのかなあ、なんて思ったりしました。楊貴妃の入ったお風呂(石造りのごついの)、なんてのもあった。(春浅く浴を賜う華清の池 温泉水滑らかにして凝脂洗う でしたっけ。凝脂は美しい肌の形容です。)万里の長城、故宮も、その規模、威容に圧倒されました。  

この時の中国旅行は、何か美人に縁の深い旅行でした。平山画伯の惚れた菩薩様、木原さんの柳眉(私も多分同じ物を見たんだと思いますが)、楊貴妃の住んだ地。敦煌(だけでなく、中国)に行けば、美人が、美人の住んだ土地が、迎えてくれます。彼女らは、何百年も前から、私たちの来るのを待っていてくれるんです。”もちろん来るって、判っていましたとも”と。
(1999年記・ひおき)

★詳細レポートありがとうございます。柳眉は、私は回っていたのか、覚えていません。気にしてなかったからでしょう。でも、何の知識もなくたって、敦煌は楽しめますよね。陽関は自力じゃなかなかいけないところなので、ツアーならではですね。羨ましい。遺跡自体があまり残っていなくても、歴史を感じさせるところは、訪れると感動しますよね。(管理人)

 ポタラ宮(ラサ) ★★★  
  裏道に隠された「ポタラの真実」

ラサを訪れて、実に意外だったのは、バックパッカーたちが案外にポタラ宮に対してクールだったことである。  

なんでも、「今日着いたばかりで、あの階段を上がるのはきつい」「ポタラは逃げない」「入場料が高い」など。ラサに着くや否やポタラを目指した私などは、むしろヘンな奴であった。そして、なにより気になったのは、「あそこは眺めてびっくり、入ってがっかり」という指摘である。ちょっと恥ずかしいのだけれど、私はポタラに登ることをここ数年の夢としてきた。その私には、これは聞き捨てならないセリフである。果たして、どこまで正しいのか。確かめねばならぬではないか。  

標高3800メートルの高地にある巨大宮殿。白と赤の調和の取れたコントラスト。その美しさには息を飲み、遺跡探求心はタマらなくそそられる。バスに乗ってラサを訪れ、その姿を見ると、間違いなく大感動すごいぞすごいぞ遂に来たぞ!なのであった。  

しかし、40元(約600円)の入場料を払って内部に入っても、見ることができるのは、じつはほーんの一部である。ポタラの総部屋数は、約1000もある。しかし、見学可能なのは、20数部屋程度であろうか。全体の2,3%だけなのだ。敦煌と違い、いくらカネを払うと言ってもまったく無駄、入れてくれないケチくささなのである。  

しかも、見られる部屋のほとんどが、赤宮に集中している。赤宮には、主に宗教的な施設が入っている。逆に白宮は、政治的な施設が多い。赤宮の宗教的施設とは、早い話仏像である。つまり、見学者は、ポタラの中で延々と仏像見学をするハメになるのだ。  

それはそれで、チベットの真実であるのは疑いない。チベット王国は、稀にみる宗教国家であった。国家イコール仏教であったのだから、その王宮で仏像をたくさん見るのは、いわば当たり前である。しかし、政治的な施設(白宮)で見られるのが、ダライ・ラマの居室や瞑想室くらいでは、納得がいかない。あの広大な宮殿の残り98%で行われていたに違いない、権力闘争や政治儀式の生身の姿が、まるで伝わってこないのだ。  

これは、中国政府の陰謀か、単に白宮にはおもしろいものがなーんにもないから見せるものがないのか、私にはわからない。そんなこと誰にもわかるわけがない。きっと江沢民ならわかるんだろうけど。ただひとつ言えることは「ポタラは眺めるもの」というのが、必ずしも嘘ではない、ということだ。  

しかし、念のため言っておくけど、内部は見る価値がない、と言っているわけではありません。なかの様子からは、ダライ・ラマの生活が想像以上に質素であったことが感じられるし、それ以外にも、いろんなチベットの雰囲気が伝わってくるでしょう。はい。それから、見逃せないのがトイレです。当時のぼっとんトイレをそのまま使っています。これは、おそらく、王国時代からつづく、唯一の現役施設といえます。ぼっとんとされたうんちは、トイを伝ってポタラの裏側に流れ落ちます。そして、地面の溝にそれこそ、ぼっとん、と落ち、さらに、溝から下界へと伝っていく、という仕組みです。  

トイから溝に落ちるときに宙を舞いますので、当然、風などの影響で、うまく溝に入らないうんちが出てきます。そんなうんちが周囲にこぼれ落ちるからでしょうか、溝の周辺は、奇妙に木々が豊かです。それを、チベタンは、「うんちの森」と呼んでいるようです(ウソ)。ポタラから帰るときは、是非裏道から帰り、この森とトイと溝を見学していきましょう。  

ちなみに、このトイを、聖なるダライ・ラマのうんちが落ちることはなかったそうです。ダライ・ラマのうんちは、「聖薬」として、丸薬にされたからだそうです。うーむ、汚い話で終わってすいません。
(1998年訪問)

 大連(北京他) (投稿)  
  近代遺跡の宝庫

近代遺跡でもいいのなら、大連は町自体が遺跡の宝庫です(いや大連というより中国東北三省というべきか)。僕は長春にもハルピンにも行ったことがないので、大連だけを紹介します。  

大連は知っての通り旧関東州の中心で、現在の都市はロシアと日本の手によって基本的に作られたものです。当時の建造物は今なお多数残っており、それは歩き方等のガイドブックに載っている有名なものだけに限らず、一般的な町並みの中にまで残っています。歩き方に載っていない(はず)もの以外で有名といえるのは、旧南満州鉄道本社(現在も鉄道関連施設)、旧東本願寺(現在市民ホール)、旧三越(現在秋林女装公司)等々。ただこの数年変化が早いのでお早めに。  

ついでに旅順は未だに完全開放されていないのでご注意を(行けばいけますが)。
(1999年 伊藤文彦)

★大連といえば、日露戦争の史跡も豊富。203高地とか、旅順の港とか、ロシア軍のトーチカ跡とか、ああ、いっぱいみたいものがある! 行きたい行きたい。でも、直行便が少ないんだよね(管理人)

※旅順は2009年にほぼ全面開放され、軍事施設以外は外国人も訪れることができるようになりました。

 泰山(山東省) (投稿)
  中国の精髄がここにある

泰山は中国山東省の中部に長さ500kmにも及ぶ大きな山脈で、東に滄海を威圧し西に大河(黄河)を鎮め、その峰々は地を抜いて天を突き破り、日を捧げる勢いを持ち、中国では最初に世界自然遺産に登録された。  

中国5名岳とは、泰山を筆頭に華山、衡山、蒿山、恒山を指し示すらしい。それぞれに特徴もあり素晴らしいもののようだが、中国ではなんでも、番号を付けて誇張するような習慣も見受けれるようだが。でも泰山は、その最高峰・玉皇峰がわずか1545mと比較的低いにも関わらず、麓の街、泰安より6666段を越す、階段でほぼ直線的につながっており、数時間(健脚家で5〜6時間)でほぼ登り切れるという。  

中天門(700m)までは、小型バスも通じており、ここから南天門までケーブルも出来ている。ほんの7.5分で南天門まで上れるわけだ。南天門付近の階段は急峻を極め65度に達し、先行者の足先が自分の鼻先に位置するという。登るのはともかく、下りは足がすくみ、大変勇気が居るようだ。南天門から山頂まで4〜500段の階段もあるが、途中に道教の寺院もありぶらぶら見学がてら歩けば、快適な散歩道と言うところだ。今回、気温は45度(56年ぶりの猛暑)に達し、暑くて暑く、天気が良すぎて霞んでしまいハッキリと全貌を見ることが出来なかったが、素晴らしいものであるに違いない。  

山頂に見られる巨大な建築物ならびに岱廟(東岳廟・泰山行宮)といい、独特の様相を見せている。西天門の手前にある碧霞祠は道教寺院で道家の祖神であるという。ここら辺りからの、南天門に至る直前の一八盤の急峻な階段は特に印象深いものだった。  

唐摩崖は丁度碧霞祠の真上に位置し、岩壁が切り開かれ沢山の碑が見られる。紀泰山銘の碑は唐の玄宗皇帝の御書で、封禅の儀式を行った時の様子が1008文字で記されていた。他にも沢山の碑文がみられたが、どれもこれも現在書家の垂涎の的らしい。僕にとっては猫に小判だった。  

孔子も「登泰山而小天下」(泰山に登ってみれば、なんと天下は小さいことか良く分かる)と言っているように、何とも言えない雄大なものだ。詩人の杜甫も、泰山は天下一の名山である公言しているようだ。もちろん、今のような整備された階段もない時代、徒歩で登ったので、よけいそのように感じたのだろうが、山の雄大さと高さはあまり関係ないようだ。  

山々の稜線に、光さすご来光のシーンはいつ見ても、生涯の忘れ得ぬ光景の一つに違いない。ほんとに中国は国土が大きい。どこえいっても、規模の大きさに圧倒され驚かされてしまうようだ。何回と訪れても、新しい感動と感激がある。  

泰山は東方文化の宝庫であり、大ブン(サンズイヘンに文)口文化と竜山文化の発祥の土地で、中国文明はここから辺りから発祥したようだ。泰山はまた中華民族心理と民族精神の成立に深い関わりを持って居る。泰山が群山の祖、五岳の宗と称えられるのも全く天地真ん中に住むことを求めた古代人の地理に対する認識から出たもので、泰山にたいする崇拝は国家の統一と発展、民族の団結に重大な役割を果たしてきた。このように泰山は民族精神の発揚に、中国歴史文化の凝縮として(郭沫若)、中国伝統文化の精髄を包含したものである。

【封禅の儀式】 封禅とは何を意味するのか、判らないが、皇帝が即位したとき、それを知らせるために天地を奉る儀式で、措置には皇帝の権威を誇示するためのもののようである。歴史上では72人の皇帝がここで封禅を行っているようだ。  

岱廟は、南北405m,東西は237mあり総面積は68.265坪に達するという。多年にわたりよく修復されており、全部の建物は左右対称に造られ、入り乱れた中に規律性があり、気勢が雄大であり、かつ華麗である。この中の天キョウ(貝兄)殿は故宮の太和殿と曲阜の孔廟大成殿にならび、中国古代の3大宮殿式建物と呼ばれている程大規模なのだ。  

これらの、恭しく厳かな、華麗な建物ばかりでなく、歴代朝廷のご光臨、政府高官や知識人の朝拝等により多くの貴重な文物を見ることが出来る。優美な詩章、素朴な石碑、風雪を得た古木等は岱廟の悠久な歴史を刻み込んでいる。漢柏樹(5株のみ現存)は漢の武皇帝が泰山を奉ったとき植えられたと言うから、樹齢2000年を超える勘定になるが、枝葉が生い茂り活気に溢れている、幾度か世の変転を知る古樹に、さすが大きな国の規模の大きさに吃驚する。
(1999年記・二上次郎)

★力作どうもありがとうございます。中国への造詣の深さがほとばしっている文章で、頭がさがります。それにしても、中国3大宮殿式建物といわれると、ちょっと放っておけないですね。是非一度訪れたいですね(管理人)

 ジョカン時(ラサ) ★★  
  みんな忘れているけれど……

 チベットのジョカン寺は行かれましたか?

 ポタラにみんな話題がいってますが、私にはあそこが文句なしのNo.1です。建物的には、たいした事ないかもしれませんが、中の空気、周りの人々、私は宗教ー人間、を強く感じました。

それから、イランのバム遺跡。保存度がとてもよく、みんなに行ってもらいたい所の中の一つです。

(99年記 toshihiko)

★もちろん、行きました。ジョカン寺。たしかにチベットの雰囲気を一番味わえるのは、あそこでした。すごいですよね、あれは「宗教感」とでもいうのでしょうか、そういったものを感じられます(管理人)





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