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ラオスの遺跡へ行くぞ!

ラオスにはあまり有名な遺跡はありません。マニア受けのする遺跡として、ジャール平原があるくらいです。日本からは直行便がなく、やや訪れにくい国ですが、素朴な国柄はきっと旅人の心を打つことでしょう。東南アジアきってのおすすめ国です。

 ジャール平原 ★★  
  謎はあるけどロマンはない



ラオスの歴史について、私はほとんど知らない。でも知っていたところで、どうにもならないのがこの遺跡である。なにせ、石の大きな壺が、200個ばかりもごろんごろんしているだけである。なんで、そんなでかい壺がごろんごろんしているのか、誰にもわかってない。だから、ラオスの歴史なんて知ってたって、意味ないのだ。

ジャール平原があるのは、ラオス中部、シェンクワン(ポーンサワン)という都市の郊外である。都市といっても、規模からすれば村に近い。その中心から、クルマで30分ほどの場所にある。大きい壺は、人間の身長より高く、内部には2,3人入れそうである。小さい壺は、それこそ酒壺程度のものもある。それが、無造作に草原のなかに大量に転がっているのである。  


この壺については、2つの説がある。一つは、墓であるというもの。一つは、酒壺であるというもの。しかし、墓にしては、人間の骨がいっさい見つかっていないのは不自然であるし、酒壺にしては大きすぎるのもある。だいたい、なんで草原のまんなかに、こんなに大量に酒壺をごろんごろんさせておかねばならないのか、理由がない。  

ただ、酒壺説の根拠をいうと、8世紀頃、南詔国(雲南南部の国)の王子の一人が、この地域を征伐しており、その際に7ヶ月の祝宴を行った、という伝説である。この7ヶ月の祝宴に使われた壺が、これではないか、というのだ。しかし、どうも後付けの理屈の気はするなあ。だって、祝宴のために、わざわざこんなたくさん石壺を作るかな。それに、そんな祝宴はあっちこっちで行われただろうに、なんでこの地方にだけ壺が残されているのか。  

かくして、まったく謎の古代遺跡なのである。うーむ、それでは謎とロマンいっぱいか、というと、そんなことはない。なにせ、遺跡の要素が壺だけなのだ。ロマンは感じにくい。期待して来るほどのところではないが、たまにはこういう遺跡もいいんじゃないかとも思う。  

ちなみに、シェンクワンへは、ビエンチャンからもルアンプラバンからも、飛行機でしかくることはできない。陸路はとっても治安が悪いので、トラックヒッチなどは「自殺行為」とされているそうだ。遺跡は3ヶ所に分かれていて、一番近い遺跡までは、市街からクルマで30分ほど。クルマはチャーターする以外ない。きっとロシア製のぼろんぼろんのクルマが用意されてくるでしょう。  

遺跡自体はたいしたことないが、シェンクワンは、ラオスの典型的な地方をみるにはいい機会かもしれない。夜6時から11時頃までしか電気がつかず、それ以降は漆黒の闇である。深夜に宿のベランダに出てみると、町は真っ黒、彼方に犬の遠吠えが聞こえるだけ。星がとてもきれいで、ああ、ラオスというのは本当はこういう国なんだなあ、と、感慨ぶかぶかになってしまうのである。
(1998年訪問)

追記
その後、このジャール平原を調査した日本人学者新田栄治氏から指摘があり、ジャール平原は墓であることがすでに確認されているとのことでした。壺の下からは人骨が発掘されており、裏付けられているそうです。 




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