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グアテマラの遺跡へ行くぞ!

中米きっての遺跡大国がグアテマラ。世界最大級のピラミッド群や、謎に満ちたマヤの遺跡まで。遺跡ファンなら一度は訪れずにはいられない国が、グアテマラです。

 ティカル ★★★★★ 
  サルが飛ぶマヤ最大級の都市遺跡

 ジャングルのなかに潜む巨大ピラミッド群。それが、ティカルのシンボルである。最盛期の広さは約130平方キロ、大建築物だけで3000、約5万人が居住していたという大都市の痕跡だ。緑濃いジャングルのなかに浮かぶ灰色のピラミッドの姿は、だれがなんと言おうと、とてつもなく美しい。そう、ここがマヤ最大級の古代遺跡なのである。

 これだけの遺跡である。ティカルというのは、さぞ大国だったのだろうと思ってしまうのだけれど、調べてみると案外そうでもない。最盛期でもティカルの支配面積は2500平方キロ程度だったらしい。神奈川県とほぼ同じ面積である。たったそれだけの国で、どうしてこんなピラミッドをいくつも残せたのだろうか。不思議だよね。

 その答えは私にはわからないけれど、知っておいたほうがいいのは、マヤにはティカルクラスの都市は、他にもいくつかあった、ということだ(未発掘が多いけど)。要するに、当時のマヤ文明というのは進んでいて、この程度の国力で、こーんなでかい遺跡を残せた、ということなのではないか。そう思うと、感心してしまいます。

 さて、マヤには、一度として大帝国が出現せず、あちこちに都市国家が林立し、興亡を繰り返した。日本でいえば戦国時代のような様相がずっと続いたわけで、ティカルはそのなかの有力な国家である。3世紀半ばから9世紀末まで、約600年に渡って王朝が続き、その間、即位した王は確認されているだけで31人にのぼる。

 ティカルは、4世紀頃に、中部マヤの中心都市の地位を確保したようだ。6世紀頃、カラコル(現ベリーズ西部)という国に戦争で敗れ一時急速に衰退するが、682年に即位した26代ハサウ・カアン・カゥイル王が中興の祖となり、とてつもなく繁栄した。彼は51年の長きに渡り在位し、その間に数多くの建造物を作り、ティカルを巨大都市へと変貌させたのである。

 続く27代王の時期も繁栄が続き、この2人の治世約80年間が、ティカルの絶頂期となった。巨大ピラミッドも、この時期に作られたのが多い。日本で言えば奈良時代に、アメリカ大陸では巨大建造物ラッシュが起こっていた、というわけだ。

 9世紀末、ティカルは突然歴史の舞台から姿を消す。その理由は不明だが、この頃、他のマヤ中部の都市も相次いで衰退したから、なにか特別な事情がこの地域を覆ったことは間違いない。とにもかくにも、ティカルの王家は消え失せ、この巨大都市は密林に覆われるのである。

 遺跡回りは、密林のあちこちの散在する建造物跡を歩いて見ることになる。といっても、とても広いので、まともに見ていたら2日はかかってしまう。いくつかのピラミッドを除けば、同じような建物ばかりなので、飽きる人は飽きるでしょう。そういう人は、「ティカルは案外つまらなかった」という。それは、ある意味事実だ。実際、2日かけて全部回っていたのは、私だけでした。

 ただ、ガイドブックに振り回されずのんびり歩き回ったら、結構楽しい場所だとは思う。たとえば、ここには、一般住民が生活したと思われる住居跡がいっぱい残されている。実は、これは意外と貴重で、ほかのマヤ遺跡ではあまり見られないものだ。

 もちろん、他の遺跡でも住居はあったんだろうけど、見学できるほどの発掘状況のものは少ない。こうした住居跡を見ていると、マヤ人の生活風景が目に浮かんでくる気がする。のんびり腰掛けて、ジャングルの木々を見上げてみるといい。たまにサルの群れが飛んでいったりする。のどかな世界なのだ。

 最後に、一番見晴らしがいい4号神殿にも登ってみよう。これは、メソ・アメリカ最大のピラミッドとされていて、てっぺんに登ると、それこそティカルを一望できる。ここからの情景は素晴らしい。グアテマラの濃いーいジャングルのなかに、数々のピラミッドのてっぺんが、点々と浮かんでいるのだ。その美しさには、もう、うっとり見とれてしまうのである。

(96年訪問)





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